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珠洲人-珠洲を故郷にした人々のお話

珠洲人 松家さんのお話 


来た時は定住するつもりは特になかったですね

 元々大阪出身の松家(まつか)さん。大学の時に金沢に来て、就職も金沢でしたようだ。平成7年に仕事の関係で、珠洲の「スポーツクラブ」の立ち上げに携わることになり、珠洲に来ることになった。

 最初は、事業が軌道に乗るまでの5、6年くらいいるつもりでいたらしいが、気がつけば11年珠洲で暮らしている。


珠洲での生活は、生かされているという感覚がある

 珠洲で暮らしてみて、どのように感じておられますか、との問いに松家さんはこう答えた。

「珠洲の外浦に来て感じたのは、すごく生かされているという感覚がある。自然に生かされている、人に生かされているというのが実感できる」と。そして加えてこんなエピソードも披露してくれた。「学生の頃はラグビーをしていて、練習の辛さに耐えることに価値があると思っていたので、自然保護系のサークルなんかしている仲間を少し馬鹿にして理解しようとしなかった。すごく狭い視野だった。けれど、子供が生まれ、珠洲での生活が続くにつれて、なるほど、あの人たちはこんなことを思って、すでに取り組んでたんだなと思ってね。」

 大阪から金沢、珠洲へと大都市から田舎へ来て生まれてきた感覚。これは実際に住んでみないと生まれない感覚なんだろう。


珠洲に住む意味はすごくあると思う

 現在松家さんは、奥さんとお子さん一人の3人で暮らしている。住んでいるのは15、6軒からなる小さな集落。

 お子さん育つ環境について尋ねてみると、松家さんはこう答えた。「珠洲に住む意味はすごくあると思う」と。もう少し詳しくきいてみると、「珠洲にはこの地で生きるための知恵が今でも継承され残っている。海や山から食料を採ってくる知恵、それを加工する知恵。それらは僕たち家族の中ではすごく大きな存在で、例えば本で勉強するよりずっと重要なことだと、子供にも教えている」。松家さんの家族は、地域で重要な労働力になっているようだ。

 その事についても松家さんは「僕らもやるし、まわりの皆さんもやるというのが実感できる。ここでも生かされているんだ。」と言っている。


よそ者であればあるほど歓迎してくれる

 奥さんは金沢の出身で、二人とも珠洲以外からの転入者。すぐに珠洲になじめたのだろうか。

 松家さんいわく「よそ者であればあるほど歓迎してくれる。外国人であればもっと歓迎してくれるだろう(笑)」と。

「能登はやさしや土までも」と言われる、能登の気質を代表する言葉があるが、その言葉通りなのかもしれない。しかし一方で松家さん自らも積極的に地域に関わろうとする努力も忘れていない。「僕らも僕らで地域に積極的に関わる。会合とか全てに顔を出すようにしている。僕がどこの生まれでどういう経歴でどんな仕事をしているのかも説明するようにしている。他の人(地域の人)はみんなお互いを知って助け合っているからね」。このようなコミュニケーションの中から知恵を受け継いでいるのだろう。


30年後のライフスタイルは“自給自足”

 10年後、20年後、30年後のライフスタイルはどのように描いていますか、との問いに松家さんは「自給自足」と即答した。加えて「そのためにも生きていくための知恵を残していく必要がある」と。松家さんのお宅は遠くに海を見渡すことができ、目の前に荒れてはいるが棚田が広がっている。「一枚きれいな棚田があるんですよ。地元のじいちゃんがやっていて、きれいに畦とかも作っている。そのじいちゃんがひっくりかえって「もうやめようかな」と言ったので、「だめや。労働力として出るから教えてください」と言ったんだ。大事な知恵を教えてもらういい機会だから」。

 今後の自分の描くライフスタイルが明確にあるから言える言葉なのだろう。


 松家さんの奥さんと大工さんが
共同して1年かけて改築したお宅


珠洲には人をひきつけるものがある

「珠洲には人をひきつけるものがある。それは普通のじいちゃんとかばあちゃんとか、肩書きのない人にあると思う。それが、これからの時代ものすごい価値のあるものになっていくよ。」と考えている松家さんは自らもその継承者になって、次代に繋げていこうと考えている。

 松家さんは、「最初から珠洲に、と考える人は少ないかもしれないけれども、そういう人たちには珠洲を体験する機会を持ってほしい」と言っている。

「やっぱり人。体験を通じたここにおる人らのキャラクター。すごいなこの人、もう一度この人に会いにきたいと思う気持ち。たとえば観光だったら、○○みました、○○きました、ああ次も来たいな、とたぶん思わないと思う。帰ったら、次は別のどこ行こうかなって考えると思う。けれど、人と人が結びつけば、あいつどうしているかなとかあの人どうしているかなとか、なると思うけどね。こっちも何もいい格好する必要もない。今やっていることをそのまま見せればいい。」


 そういう松家さんの顔はまさに珠洲の人の顔になっていた。




珠洲人 清水さんのお話 


珠洲焼の魅力にとりつかれたのがきっかけ

 愛知県の出身である清水さんが、珠洲を知ったのは九谷焼の学校に入り石川県に来たことがきっかけだった。

「九谷焼の勉強中に能登半島をぶらっとまわることがあって、珠洲で珠洲焼に出会った。」という清水さん。九谷焼と珠洲焼は同じ焼き物ではあるが、形・色ともに全く違うが、清水さんは珠洲焼の素朴な感じにとても魅かれたそうだ。



珠洲は自然が豊かなところ

「珠洲焼」をきっかけに珠洲に住み始めた清水さんだが、珠洲の良さは?との問いに「自然が豊かなところですかね~」と答えてくれた。工房にはご自分で作られた窯があり、その横にはこれまた自分で割ったという薪が山のようにつまれていた。原料である粘土も珠洲のいろいろな場所に行って採ってくるという。珠洲焼の原材料は全て珠洲産だ。作品がある程度できたら焼いて、また作って焼くということを年間3回くらい行うと言う。薪割りも含めて、「珠洲焼を作る・焼く」という本来作業の他にもやるべき作業が意外に多いらしい。



今の暮らしに感謝しています

 珠洲の暮らしに満足していますか、との問いに「満足している、というより感謝しています」と清水さんが答えた。「普通の考え方だとマイナスかもしれないですけれど、人が居ないというのが自分にとってはあり難いですね。都会では出来ないですね。」自らを追い詰めていく創作活動にとっても珠洲は良い環境であるようだ。どちらかというと、寡黙な清水さんだが、今のライフスタイルが心地よいのかもしれない。

 現在は奥さんとお子さん一人の3人で暮らしている。奥さんも県外(埼玉)出身とのことで珠洲には全く縁がなかったのだが、清水さんと結婚されて今の暮らしを楽しんでいるという。

 清水さんいわく「キャンプとかそんなのが好きなんで。大都会よりはいいんじゃないかな」。



今後もここで暮らしていきたい

 珠洲焼に必要なものは全て珠洲で手に入れる。清水さんの家の中には清水さんの手から産み出された作品が部屋いっぱいに並べられていた。今後もずっとこちらで活動を続けていきたいと思いますか、との問いに「そうありたいと思います」と静かに答えてくれた。


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お問い合わせ
企画財政課 移住定住推進係
Tel 0768-82-7726
Fax 0768-82-2896
iju@city.suzu.lg.jp

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